【7】
エミルに引っ張られていくリザレリスを見送りながら、フェリックスは確信していた。三人だけになれば何かがわかると思っていたが、やはりなと。おそらく彼は、彼女のことを......。
「おい兄貴」
突然、フェリックスは声をかけられた。振り向くと、弟のレイナードが当惑した表情で立っていた。
「やあレイ。おはよう」
「おはようじゃねえって。グレグソンに聞いたぞ。ひとりであの王女様を送りに行ったってマジか?」
「厳密にはひとりじゃないけどね」
「そういうこと言ってるんじゃねーだろ」
「学生同士、一緒に登校することの何がおかしいのかな?」
「まわりを見ろよ」
レイナードは周囲へ視線を促した。まわりの学生たち...多くは女子生徒たちは、フェリックスの動向に釘付けになっている。
「さすがレイは人気者だね」
フェリックスはトボけて見せる。レイナードはため息をついた。
【9】一日のすべての授業が終わった。皆、帰り支度をして、教室から出ていく。結局、フレデリックがリザレリスに関わってくることは一度もなかった。それどころか、クラスメイトとの関わりを極力避けているようにさえ見えた。教室から去っていく彼の背中を眺めながら、リザレリスは吐息をつく。「真の問題は、フレデリックじゃなかったな」「シルヴィアンナ・デ・シャミナードさんですか?」エミルが訊くと、リザレリスは謎のドヤ顔を見せる。「わたしの魔法が、真の問題だ!」「お元気そうで、なによりです......」 「じゃあ、帰り遊んでこーぜ」リザレリスはおそろしく前向きだった。否、テキトーだった。落ち込むことがあったら、遊んで気を晴らせばイイのだ。リザレリスは元気に立ち上がり、前に座って待っていたクララの肩を叩いた。「あ、あの、なんで私が......」クララは躊躇する。誘われたのは自分だけだったから。これにはエミルが応じる。
「なにあの没落王女。ただ元気が良いだけのバカじゃない。これに懲りて大人しくすればいいんだわ」シルヴィアンナの痛烈な一言が突き刺さる。魔法授業が終わっても机に塞ぎ込んだまま立ち上がれないリザレリスには、言葉を返す力も湧かなかった。「いっそ国に帰ってしまえばいいんだわ」シルヴィアンナはリザレリスに向かって捨て台詞を吐き、取り巻きと共に教室を出ていった。教室は一気に静かになる。他のクラスメイトたちは、リザレリスにかける言葉が見つからなかった。文字通り、リザレリスは何もできなかったのだ。例えるなら、水泳の授業で水に潜ることすらできないようなものだった。「リザさま」ややあってからエミルが声をかけた。「でも、座学はきちんと理解されていたようなので、きっと大丈夫です」無反応かと思われたリザレリスが、おもむろにむくりと顔を起こした。ズーンとした表情を浮かべて。「葉っぱ一枚を僅かに動かすことも燃やすこともできず、コップの水をちょっとでも冷やすことすらできない」ここから急にリザレリスは、くわっとなる。「てゆーか、なんでみんなフツーに魔法使えるんだよ!フツーにスゲーんだけど!」リザレリスの叫びに、クラスメイトたちは互いに顔を見合わせてから「そういうことか」と苦笑を浮かべた。何かが腑に落ちたようだ。「リザさまは、究極の箱入り王女様なんですね」
午後の授業が始まる。リザレリスは規定の席に着いた。壁際の最後列。午前と同様の席だ。当然その隣にはエミルがいた。しかし一点、異なることがあった。「あ、あの、私......」「いいじゃんいいじゃん」リザレリスのすぐ前に、クララ・テレジア・バッヘルベルが座っていることだ。 「で、でも、私なんか......」バッヘルベルはひたすら困惑していたが、リザレリスは彼女のことが気に入っていた。理由は簡単。可愛いからだ。さすがは前世の遊び人男の人格を保持しているだけある。カワイイ娘には目がない。「私なんか、じゃないって。ぶっちゃけあのシルヴィアンナとかいうコより全然カワイイぞ?」リザレリスは言い切った。この世界でのカワイイ女の基準はわからないが、少なくとも自分にとってはバッヘルベルのほうが遥かに可愛いと思えた。「そ、そそそそんなことないです!」バッヘルベルは焦って否定し、きょどきょどしながら前方を気にする。彼女がチラ見した先には、シルヴィアンナが肩越しに眉を釣り上げているのが見えた。「そうかなぁ。俺.
「ぼ、ぼつらくおうじょ?」思わずリザレリスはオウム返ししてしまう。それだけインパクトのあるフレーズだった。「ちょっとシャミナードさん。リザさまは気さくな王女なのよ」リザレリス側の女子が擁護の発言をするも、シルヴィアンナと取り巻きふたりが睨みつけて黙らせる。「あなたたちみたいに中途半端な貴族の娘の言葉なんてどうでもいいの。わたくしが言いたいのは、所詮その女は没落した王女ってことよ。ほら、すでにクラスにひとりいるじゃない。没落した名家の娘が」シルヴィアンナは食堂の隅の席を指さした。そこには小さいテーブルで寂しそうに食事をしている女子がいた。「あのコは......」リザレリスにはそれが誰だかわからなかった。クラスメイトだったとしても、まったく記憶に残っていない。地味すぎて存在そのものに気づかなかったようだ。シルヴィアンナは鼻で笑ってから吐き棄てる。「つまりね、ブラッドヘルムさん。あなたもあのコと同じってこと」「ええと、あれは?」リザレリスが訊くと、シルヴィアンナは見下した目つきで説明する。「あのコはクララ・テレジア・バッヘルベル。昔は名門貴族だったらしいけれど、ただの田舎貴族の娘よ
昼になり、リザレリスたちは食堂に移動した。さすがは世界屈指のデアルトス国立学院というだけあり、食堂も実に立派なものだった。まるで貴族学食とでも言うべき環境は、城生活に慣れていたリザレリスも|唸《うな》らせるものだった。だがリザレリスには、立派な食堂を味わっている暇はない。「リザさまは今、デアルトスの屋敷に住んでいらっしゃるのね?」食事をしながら、クラスメイトたちからの質問タイムが始まった。リザレリスはいったん食事の手を止めて頷く。「そうだよ。馬車で来てるけど、近くて楽で助かってる」「お国ではやっぱりお城に住んでいらっしゃるの?」「うん。古いけど、大きくて立派な城だよ」「大きなお城だって。すごーい!」彼女の着いたテーブルには先ほどのクラスメイトたちも集まり、皆で賑やかな食卓を囲っていた。「ねえねえ、リザさま」不意にクラスメイトの女子が、やけに興味深々な目を向けてきた。それまでとは違う、女の目だ。「なに?」とリザレリス。「フェリックス様とは、どういうご関係なの?」この質問には、このテーブルに着いた女子全員が色めきだった。「えっ、ただの友達だよ友達」質問の意図を理解したリザレリスは、笑いながら殊更に「友達」を強調した。実際、それ以上の事実もまったくない。「でも、今朝はフェリックス様に送られてきたんでしょう?」「あれはただのあいつの親切だよ」「あいつ??」女子全員がわっと驚く。「リザさまは、そんなにフェリックス様と仲がよろしいの?」「いやいや、まだ数回会っただけだよ?」「数回お会いしただけなのに!?」リザレリスはことごとく墓穴を掘った。女子たちは互いに顔を見合わせると、今度は目つきを変えてリザレリスに迫ってくる。「リザさま。もっと自覚した方がよろしいですよ」「フェリックス様は才色兼備の本物の王子様です。女にとっては憧れの的であり、男にとっては尊敬の対象です」「そんな方と、そこまで親しげだということは、どういうことなのか」矢継ぎ早に言及され、リザレリスはあたふたとしてしまう。「み、みんな、ちょっと落ち着いて。エミル助けて」エミルは隣にいながらも、リザレリスのフォローができなかった。女子生徒たちの言っていることは、もっともだからだ。むしろ、これを機に王女殿下にももっと自覚を持ってほしいとさえ思ってしまっていた。「だから、
一限目の授業が終わると、リザレリスは机に突っ伏した。「が、学校の勉強って、こんなにしんどかったっけ......」一応、ルイーズの『王女教育授業』の中で、一般的な勉強もさせられていたリザレリス。そのおかげでなんとか授業についていくことはできたが、それでもシンドイことには変わりなかった。「よくよく考えたら留学って、海外に勉強しに行くもんなんだよな......」今さらながらのことに今さら気づいた。それだけではない。リザレリスの中ではもうひとつ「今さらな気づき」があった。彼女の中身は、転生前の人格と記憶をそのまま保持しており、転生後のそれはない。にもかからず、この世界での勉強が意外なほど身についているのだ。よくよく考えれば不思議なことだ。しかも不自然さもない。むしろ自然だった(これは勉強以外の日常生活全般にも言えた)。「しんどいけど俺...わたし、ついていけてる。これって、実はスゴくね?」リザレリスはむくりと顔を起こした。なんだか急に自信が湧いてきて、顔にはニヤッと笑みが浮かんだ。隣で一部始終を見守っていたエミルは、お転婆プリセンスがまた良からぬ悪戯を考えているのではないかと不安になる。 「あの、リザさま......」